水産功績者表彰
【水産功績者表彰について】
明治の初年頃、国の行政は黎明期にあり、水産業界も暗中模索の時代であった。水産業を扱う部署として、はじめて明治10年に内務省勧農局に水産係ができ、同13年に水産課に昇格、同18年に農商務省に水産局ができた。
明治政府は殖産興業の方針はあったものの、農業中心であったため、水産業の開発は遅れがちだった。そこで、明治15年、水産業の改良進歩を図る目的で、民間有志を結集して大日本水産会が設立され、政府に対する建議や答申、水産教育、啓蒙普及等の事業を行い、行政代行的な役割も果たしてきた。(本会が水産教育の目的で明治22年に創立した水産伝習所は、現東京海洋大学の前身である。)
このような中、明治23年、水産業の振興を図るため、水産功績者表彰が開始された。これは、水産業の発展に寄与し、顕著な功績を挙げた者を表彰するもので、沿岸から沖合、遠洋までの漁業生産、増養殖、加工・流通、技術開発、試験研究等、水産業に関わるあらゆる分野における功績を讃え、表彰するものである。
≫ 著名な水産功績者
【皇族推戴】
設立より昭和21年までは、以下のとおり皇族を総裁(当初は会頭)に戴いており、御名の下、表彰が行われていた。
初代会頭 小松宮彰仁親王 (明治15年2月創立当初は会頭、33年より総裁と称する)
二代総裁 有栖川宮威仁親王 (明治37年5月~)
三代総裁 東伏見宮依仁親王 (大正2年7月~)
四代総裁 伏見宮博恭親王 (大正11年8月~昭和21年2月)
第二次世界大戦後は、G.H.Qの指導や、漁業制度の改革が行われたこと等に伴い、総裁を拝辞することとなった。
昭和21年以降は、民間人の会長の下、水産功績者表彰を行うこととなったが、これまでの経緯と、水産功績者表彰の重要な意義に鑑み、表彰式典には引き続き皇族の方々にご台臨を賜り、お言葉を頂いている。
梨本宮守正王 (昭和21年~)
高松宮宣仁親王 (昭和29年~)
三笠宮宜仁親王 (昭和62年~)
桂宮宜仁親王 (昭和63年~)
秋篠宮文仁親王 (平成27年~)